還暦は通過地点のひとつ

ブログ更新を控えながら…

今年に入ってからも

書道に集中するためにブログの更新を

控えてきました。

草書千字文の会得を掲げて

2年8ヶ月

道のりの険しさを承知したうえで

やり続けてなんとか還暦までに

と…

もう少しかかりそうです。

諦めたらそこで終わり

うさぎではなく

カメなのでやり続けたいと思っています。

印鑑にとって大切な文字の表現

印鑑 正しくは印章

印鑑の書体も最近では

色々とありますが、

楷書のようで行書も混じった

線にも動きがある(いい意味で躍動感がある)

書体が人気のようですが

読み難い書体ではなく

読めるということが身近に感じられる

書体なのかもと思います。

ただ、

印鑑職人にも、文字を扱う上での

立ち位置というものがあるような気がします

正当なというか、

伝統を大事にするとか、重んじるとか

印相体(吉相体)などは伝統があるとは

言えないが、

創作書体も伝統はない。

だからこそ、書道を学ぶ意義はある

伝統を学び創作に生かす

そこが私の立ち位置かなとも思います。

石のはんこ(落款印)

石のはんこ

書道の作品に押す落款印を

彫る機会がありますが、

昔は、彫りあがると

手直しすることが当たり前のようでしたが、

最近では、

手直しすればするほど

精彩が無くなり、味気がなくなることを

強く感じます。

それは、印稿がどれだけ大切なことなのか

証左とも言えます。

実用印にも同じことが言えます。

一歩はもう少しお預けです。

職人を育てるという新しい考え

時代背景に影響される人材育成という問題。

どんな時代にも必要とされる業種であれば

人材育成は容易にできるとは思います。

では、印章を扱う職人の場合はどうでしょうか

昭和から平成にかけて機械化に頼りきってしまった付けが

大きく、簡単に職人を養成できないのが現状

2代目3代目がいても、業を続けいけない問題がある。

本当の問題は、経営力の欠如が大きい、

職人としての能力がいくらあっても、

営業能力や経営能力で将来への十分な備えが

できなければ、次世代へのバトンは渡せない。

では、どうして職人を今の時代に育てることができるか

柔軟な考えと斬新な思考が求められる。

教えられたことをやるという難しさ

印章の職人(職人の育成を含む)を指導することを長く続けています。

職業訓練校は休校を経て解散されてしまいました。

現在は神奈川県印章研究会として指導しています。

印章の指導であれ、書道の指導であれ、

教えられたことが出来ないということはあります。

共に、複合的作業を伴っていることであり、

言われたことが、簡単に実現できないことは理解できます。

頭では理解できても、それをやるには、相当に積み重ねた努力が

求められることも現実にあります。

一歩への道は険しい

印章の職人として十代から多くの方に指導を賜り

神奈川プライドを守り続けています。

20代に指導を受けた師から、舟月という雅号を頂き

舟月(しゅうげつ)という印号に恥じないよう現在まで歩んできました。

書道の師である廣畑筑州先生のもと、一度諦めたことに

残りの人生を懸けて取り組んできた2年半。

まだ道半ばの感はあるものの、先が見えてきました。

自分の思いが成就できたあかつきには、書道印判師として

「一歩」という号と考えております。

読めない文字は絵として見る

印章の書体の中で読みにくい篆書を

扱い慣れている篆刻家や印鑑職人は例外として

一般的に文字として読めないことは想像できます。

では、どういう風に見えているのか、

女性の人には、絵画というか「絵」として

捉えている場合が多い。バランスや空間についても

文字として扱っている自分には不思議なことです。

できないことに取り組む覚悟

物事は、誰でも最初からできるわけではありませんが、

興味を持ったり、することを求められたり、

さまざまな事で、身につけて行きます。

ただ、能力や得手不得手で出来ないこともあります。

それでも、出来るようになりたいと思った時、

自分の限界を取り払い、諦めない覚悟を決めて

やろうとすることは自由です。

感性は磨き次第でしょうか

生まれ持った感性は、磨きしだいで大きな力になる。

試行錯誤を繰り返して一定の自信の中に、

ぶれない強さと、続ける楽しさを感じることができる。

決して人と同じ道を歩まずとも切り開くことができる。

ただし、道を逸れないように師を持つことは、

とても大切である。