師匠の言葉-何気ない日々の教訓
二歩も三歩もだめだなあ
私の通う,書道の稽古日には以前のように入れ替わりがある位の
賑わいはありません。
20年以上前には、指導は厳しく
稽古が終わる時間が終電近くになることもありました。
現在、夜の稽古日には数か月前からマンツーマンです。
先生はいろいろと出向いての指導が多く、
気づけば、先生の自宅へ夜に通う人は私だけです。
先日の稽古で、楷書について指摘はありませんでしたが
草書につて一言、
「二歩も三歩もだめだな~」って。
草書を書き始めて2年、
自分でも二歩も三歩もダメだと、同感です。
スケールがない。と言ってもらえるのですが、
後は自分で考えるしかない。
昔、孫過庭の書譜を少しやりましたが、
草書がやりたいと二年前相談した時は
あまり感触はよくなかったことを
ふと思い出しました。
ものに出来るのか?
自分なりにものにする(身につける)ことと
先生の考える理想をものにすることとは違う。
前者は、自分の苦手とする部分を得意な部分で
補いながら前に進むことで妥協できるのかもしれません。
後者は、そう簡単に実践できるものではないと
つくづく感じます。
書道をやられている方なら、
松本芳翠という昭和の書家はなじみがあると
思いますが、その著書「臨池六十年」の中で
上達の工夫という説明で、
書道の上達を希(こいねが-う=もとめる)ふならば、
よい手本によって常に新しい工夫を積み、
そして不断の努力を重ねて行かなければならない。
……、自己のまだ習得して居ない事柄をさすのであって、
それを一つ一つ習ひ覚えて行くのが即ち上達である。
と記されています。
一つの工夫・考察
よく先生が口にしていたことで、
書道をやっているから、手紙が上手に書けるとはかぎらない。
そうですね、ましてや筆を使って書くとなるとハードルは高くなる。
半紙に縦書きで鉛筆を使い書いてみる。
このぐらいは慣れで大変なことではないが、
筆を持って書くとなると
小筆に慣れないとそう上手くはならない。
キャベツの千切りをリズムよくこなすようになるのと似ている。
無意識に手が動くまで練習しないと叶わない。
文字につては、その前に習得するスキルが必要です。
理想は筆と腕の一体化
筆を持って文字を書くという作業を考えたとき
筆を意識しないで書けるまで数多く練習してこそ
安定した線が引ける。
理屈はそうなんですが、
複合的要素の結果としての書である以上
安定した線が引けるようにするための
工夫を今一度考えてみる必要があるかなと…